えんじょいらいふ

幸福な反出生主義者になることが夢です

子供が欲しい方へ


あなたが将来の子供のことを真に愛したいのなら、是非考えてほしいことがあります。想像力を働かせてください。


生まれることは、必ずしも幸せでしょうか?


もうわたしが子を成すことを否定していることに気がついた方もいると思いますが、そのまま是非読んで欲しいのです。




わたしは決して、人生は辛いことばかりだとは言いません。戦時下に生まれても、障害を持って生まれても、病との戦いを強いられても、ホームレスでも、事故や事件や災害に巻き込まれても、大切な人を失っても、希望を捨てず日々を笑顔で過ごす人はいます。その一方で、どんなに恵まれているように見えても自ら死を選ぼうとする人も大勢いるのです。


幸不幸を決めるのは、主観です。誰かが「生きることは幸せなことである」または「生きることは不幸せなことである」と決めることはできません。あるのは事実だけであり、幸不幸を決められるのは本人だけです。(かと言って、不幸だと人生を嘆く人に向かって「気の持ちようだよ!」と励ますのはなんとも酷だと思いますが……)


よってここで「人生は不幸なことが多いので生まれないほうがよい」と言うことがわたしにはできません。ですが、そのことは『人生は辛いことばかりだ』と感じる人の存在を無視して良い理由にはなりません。



将来、あなたが子供を産み育てた時のことを想像してみてください。

あなたの子供が「人生は辛いことばかりだ。生きていたくない。生まれたくなかった。どうしてぼくを産んだんだ」と迫ってきたら、どうしますか?


あなたは子供の幸せを願っているでしょうから、子供がそんなことを言えばきっと悲しいでしょう。または、怒るかもしれません。お腹を痛めて産んだ子が、自分を犠牲にして育てた子が、「産んで欲しくなかった」とあなたに反抗しているのですから、怒ってしまっても仕方がありません。こんなことを言う子供ならいらなかった、と思ってしまうかもしれません。



よく考えてほしいのです。この場面であなたはどう反論できるのでしょうか?わたしにはよい反論が思いつきません。もし思いついた方がいたら是非教えてほしいです。


1.人生の責任は必ず親にある

だって、子供を産むことを選んだのはあなたです。強制されたわけでなければ、妊娠する・させる行為に及んだのはあなたですし、出産する・させることを選んだのもあなたです。生まれる前の子供と

「生まれたいですか?」

『はい、生まれたいです。よければ産んでください!』

「では産みます。これからよろしくお願いします」

という会話をしたわけではないです。


もしもこのような会話が可能だとしたら、それは正当な契約となります。子供を産みたい親と、生まれたい子供の利害が一致した契約です。


ですが実際はどうでしょうか。

「あなたが生まれたいか生まれたくないかなんてわからない」

『……』

「将来幸せになるかどうかもわからない」

『……』

「でも産みたいから産むね。多分幸せにしてあげるから、ヨロシク!」

『……』

といった感じでしょうか。


おそらく、生まれる前の子供と会話することは不可能でしょう。生まれる前の子供に生まれたいという意思があって誕生する、とは考えづらいですし、更に言えば『生まれたい』『生まれたくない』などという思考の存在自体考え難いでしょう。


生まれる前の子供と意思疎通し、産みたい人と生まれたい人の利害が一致している場合を正当な契約と呼ぶのなら、実際の出産というものは、産みたい人と、生まれたいかどうか伝えることができず、そもそもそのような思考ができるとはいえない人との、利害が一致しているかわからない、不当かもしれない契約なのです。


子供は否応無しに、親の意思(またはその周囲の意思)によって生まれます。子供はいつのまにか、親の勝手で人生が始まってしまうのです。これは当たり前のことです。けれど、当たり前だと見過ごすにはあまりに大きな出来事だと思いませんか?こうしてあなたの人生が存在しているということを選んだのは、あなたではなくあなたの親なのです。そして、子供を産めば、その子供の人生の存在を選択したのはあなたということになります。


ここで伝えたかったことは、生まれる前の子供が『生まれたい』か『生まれたくない』か、どちらを思っているか、ということでも、生まれる前の子供に『生まれたい』『生まれたくない』などという意思や思考が存在するかどうか、ということでもないのです。

子供の人生が始まるということが、親の選択ひとつで決まるということです。このことの重大さを噛み締めて欲しいのです。親の一方的な意思によって生まれた子供は、強制的に何十年もの人生が始まります。その責任は確実にあなたにあります。ですが、その人生の責任を取らされるのは、なぜか子供なのです。





2.親は子供の人生の責任を取れない

子供の人生を作り出したのは親であり、その責任は親にある。けれど実際に責任を取らされているのは子供だ、と言いました。どういうことかと言うと、まずここで大事なことは

子供は全くの他人であり、親は子供の代わりに生きてやることはできない

ということです。


子供は生まれることも親も環境も選べないで人生をスタートさせます。そして、社会で生きていく上で、更にさまざまなことを強要されてゆくのです。親であるあなたには、少なからず「こんな風に育って欲しい」という思いがあるでしょう。「普通に育ってくれたらいい。元気で生きていさえくれたら」そういう方もいるでしょう。普通ってなんでしょうか。学校に通ったり、働いたりすることでしょうか。

一般的な例で言うと、学校に通い、勉強したり同級生と協調することを求められます。もしあなたの子供が勉強大嫌いで劣等生のレッテルを貼られていたら、そのことで本人が困っていたり傷ついていたら、親は子供を産んだ責任として、子供の代わりに勉強し、代わりに良い成績を取り、代わりに受験戦争を勝ち抜いてあげることができるでしょうか?できませんよね。


子供が学校で同級生とうまく協調できない場合、またそれが転じて登校拒否をした場合、親は子供の代わりに登校し、代わりに友達を作って協調し、代わりに無事学校を卒業できるのでしょうか?できません。

生きていくにはお金が必要です。子供が働きたくなかったら、働く能力がなかったらどうでしょう。これは代わりに学校に行くよりは断然可能でしょうね。子供の頃から一貫して子供が死ぬまで、不自由なく文化的に生きていけるお金を用意してあげればいいのです。できますか?できませんか?できないのなら、やはりあなたは無責任です。


一般的な親は、子供が学校に行くことや、社会人になって自分で稼ぐことを当たり前だと思っています。更に老後の世話をさせようとする人もいます。もうわかるでしょうが、それは無責任なのです。代わりに生きてやることもできない人生を、無責任にも生み出してしまっているのです。子供の代わりに勉強してくれる親はいないし、子供の代わりに友達を作る親もいません。子供の代わりに働いて、子供が死ぬまで養う親も滅多にいません。子供がどんな不幸に会おうとも、代わりに苦しんであげられる親はいないのです。なぜなら親と子供は他人なのです。全く別の個体なのです。代わりにやってあげられることなどほとんどありません。責任を取ることはほぼ不可能なのです。


今あげたのはほんの数例です。いろいろな親がいますから、きりがありません。子供は、大人に与えられた世界の中でしか生きられないのです。大人の都合で作られた世界で、リスクを追うのは人生を強制開始させられた子供なのです。



3.死という苦痛の強要

そんなに生きるのが辛いのなら、死ねばいいという人もいるでしょう。しかし、死ぬことと、生まれないことは似ているようで全く別ものです。


勝手に人生を始められ、生きることを強いられ、その末に「人生は辛いことばかりだ。生きていたくない。生まれたくなかった。どうしてぼくを産んだんだ」という考えに至った子供は、既に生まれています。子供が生まれたくなかったと嘆いたところで、親が子供を産んだことを後悔したところで、生まれる前に戻ることはできません。


生まれるということは、死ぬということです。死ぬことは未知の体験であり、誰しもが多かれ少なかれ恐怖することです。死ぬ間際に味わうであろう苦痛も、想像するだけで恐ろしいものです。


生まれないことと死ぬことが同じことだと思いますか?違いますよね。生まれなければ、死ぬこともないのです。このような恐怖さえ感じずに済むのです。ついでに言えば、あなたが代わりに死んであげることもできません。



まだ産みたいですか?

はっきり言います。子供を欲しいと思う気持ちは究極に利己的です。どんな風に育って欲しいかと考えることも、利己的です。責任も取れないのに子供を誕生させ、親自身の願望のための教育をし、子供が大人になれば、「義務は果たしたぞ」と大きな顔をするのです。なにも果たしていません。いい迷惑です。


人生の幸不幸はあくまで主観であるとはじめに言いました。ここでは基本的に、不幸を感じる子供の目線で書きました。誤解して欲しくないのは、生きることに喜びを感じ、両親に感謝する子供の存在を否定しているわけではないということです。それは素晴らしいことです。わたし自身、楽しさや幸せを感じる瞬間は幾度もありました。幸せに生きることは不可能ではないでしょう。世界には面白いものがたくさんあるでしょう。わたしはそう信じています。


しかし、わたしは子供を産むという無責任な行為をする人間を許容できずにいます。子供の不幸を願う親などいないでしょう。けれど現に不幸を感じている人はたくさんいます。(既に親の立場である人間が不幸を嘆いても同情できませんが……)


ここまで読んで、「自分の産む子はきっと大丈夫だろう」「私が絶対幸せにしてあげるから大丈夫」と思う人はもう一度考えてください。本当に大丈夫ですか?どうして自分の子供は幸せになると言えるのですか?それは絶対ですか?100%と言えますか?根拠はなんですか?



人生のイベントのひとつ、と思わないでください。産むことは当たり前だ、と思わないでください。自分の都合を捨て、先ずはまだ見ぬあなたの子供の、始まれば何十年も続くであろう人生を真剣に思い遣ってください。もしあなたが他人の都合を全く考えず自分本位に生きることを厭わないのなら、わたしの話は通じないでしょう。ですがもしあなたが他人を思い遣る気持ちを少しでも持っているのなら、責任のとれないことを押し付けるという行為に嫌悪できるのなら、よく考えてみてください。


また、既に親であるあなたは、人生をかけて子供を幸せにしてあげてください。勿論、あなたの都合は捨てて、本当の意味で思い遣ってください。とれない責任を、なんとかしてとる努力をしてください。